木村重成[1593?〜1615]

keiyo2007-07-06

木村重成(きむらしげなり)


生年は1593年、1596年説あり。
木村重茲の子。母は豊臣秀頼(秀吉の息子)の乳母。
なので秀頼とは乳兄弟になる。
幼少の頃から秀頼に仕えていた。



初陣は大阪冬の陣
ここで真田幸村後藤又兵衛などの猛者達と共に一軍の将に抜擢された若武者・重成は敵に臆することなく戦う。
そして佐竹家の重臣・渋江政光を一騎打ちで討ち取るなどの活躍を見せる。



そして翌年の大阪夏の陣
守る城が堀を埋め尽くされ裸城となった大坂城では到底勝ち目のない戦。
大阪方の武将は皆この戦が己のを散り際と覚悟していた。
この頃、重成は食事を多くとらなくなっていた。
新婚5ヶ月目の新妻・青柳に理由を聞かれると、


「敵に討ち取られたとき、己の屍の臓腑が見苦しくないように」


と答えたという。
そして決戦の日はやって来た。
重成は己が首だけになったときのことを考え、入念に洗髪し毛髪に香を焚きこませてから出陣した。
また固く結んだ兜の緒の端は切った。もう二度と結びなおすことはないのだから。



正面に井伊直孝隊、左に榊原康勝隊、右に藤堂高虎隊を迎えての激戦。
冬の陣のときと同じく重成は勇敢に戦った。
家臣から城への引き上げ勧められても「まだ家康と秀忠の首を取っていない」と言い放ち戦い続けた。
重成の最期の相手は井伊直孝の部隊であった。
直孝の家臣・庵原朝昌の十文字槍により馬上から落とされ、朝昌の手勢数人に討ち取られた。



重成の首は翌日の首実検で家康に検分されることになる。
このとき、重成の頭髪から香の薫りが漂った・・・。




これが戦国武将の美学なのでしょうか。
感動というか同情というか悲しいというか不思議な感情がこみ上げてきます。
木村重成、享年19歳または22歳とのこと。
若い・・・。