武将

木村重成[1593?〜1615]

木村重成(きむらしげなり) 生年は1593年、1596年説あり。 木村重茲の子。母は豊臣秀頼(秀吉の息子)の乳母。 なので秀頼とは乳兄弟になる。 幼少の頃から秀頼に仕えていた。 初陣は大阪冬の陣。 ここで真田幸村、後藤又兵衛などの猛者達と共に一軍の将に…

閻行(エンコウ)

[張既伝]より 字は彦明。金城の人。韓遂の女婿。 若いころから勇名を馳せ、初めは小将として韓遂に付き従った。 建安年間(196〜220)の初め、韓遂と馬騰が攻撃しあったとき、 馬騰の子馬超にも勇名があったが、閻行は馬超を突き刺し、矛が折れてしまうと、 …

島津家久[1547〜1587]

島津家久(しまづいえひさ) 1547年、九州の戦国大名・島津貴久の四男として生まれる。 (薩摩藩初代藩主の島津家久(忠恒)とは同名だが別人物。) 「島津四兄弟」の末弟。 1569年、北薩摩の国人との戦で自らが囮となり、「釣り野伏せ」により敵勢を包囲し…

小幡虎盛[1491〜1561]

小幡虎盛(おばたとらもり) 信玄の父・信虎 の代からの武田家重臣。 父の戦死後、14歳で家督を継ぐ。 「虎」の字は、信虎 から一字を与えられたものである。 「鬼虎」の異名で知られた猛将で、生涯三十六度の合戦で、三十六枚の感状(感謝状)を授かり、全…

本多忠勝[1548〜1610]

本多忠勝(ほんだただかつ) 徳川四天王・十六神将の一人。 「ただ勝つのみ」という願いを込て名付けられた忠勝は生涯57度の合戦に出陣し、1度も傷を受けなかったという。 15歳の時、叔父小原肥前とともに戦場に出た際、小原肥前が功名を譲ろうとしたが「な…